ホラー小説 / ゴミ3
■ゴミ袋の中身
ホクロからのパワハラ・セクハラが静まったおかげで随分と精神的なストレスが落ち着いた気がする。
少なくとも会社に行くのも前ほど嫌じゃなくなったし、ようやくマトモな毎日が私にも訪れた。
「…………ふぅ……」
金曜日以外は。
いくら会社がマシになったからと言って、このゴミの件がうやむやになるわけもないし、この気持ちの悪さと不快さがマシになるかといえばそんなこともない。
……いや、それよりもむしろ前よりも確実にゴミの量が大きくなっている。
「……うぷ!」
そしてこの増えてゆくゴミに対し私の精神的ストレスは胃にくるようになった。
金曜日、ベランダのゴミを見つける度に私は吐くようになってしまったのだ。
「はぁ……はぁ……」
トイレの便器に胃の中のものを全て出しきった私はその苦しさにしばらく動けずにいた。
毎週金曜日は食事を極力控えることがすっかり習慣になってしまったが、このストレスは全く習慣どころか慣れることはなかった。
この便器の横で放心状態になっている間は、なにも考えられない。
それは私の身体がこの恐怖を無かったことにしろと必死に体に命令しているからだと思う。
あれから管理人さんもなにか手を打ってくれる気配もない。
私には決断の時が迫ってきているように思えた。
この家を引っ越すか……それとも、自分で解決するか。
引っ越すのは簡単だ。だが今住むこの部屋と同じだけの条件の物件を探すのは簡単ではない。
不動産会社にこの部屋を紹介されたとき、しきりに「本当に幸運だ」となんども営業の男に言われた。
その時はピンと来なかったが、住み始めてからわかった。
どうやらここは都内ではかなり好条件であるようだ。
ゴミの一件があり、それなりに探してみたが今住む部屋と同条件どころか、家賃が驚くほど高い。
引っ越して生活水準をさげてしまうのはどうしても避けたかった……。
そんなわけで私の中で引っ越しは最後の手段ということにしたのだ。
トイレから戻った私は、キツく封を結ばれたゴミを前に座ると予め用意していたカッターナイフでその結び目を切った。
中身を開けて犯人の手掛かりを見つけてやろうと思ったのだ。
ゴミ袋を切ると子供の頃、いたずらで斬ってしまったクマのぬいぐるみから溢れ出た綿のようにシュレッダーで裁断されたらしい紙のゴミがカーペットに散らばった。
「……なにこれ、どこかの事務所のゴミみたい」
きしめんよりも細かくなってしまったそれを見てもなんの紙かは分からなかったが、それらがどこかのオフィスのゴミであることが職業柄分かった。
なぜなら私が働く部署でも毎日同じようなゴミが出るからである。
■シュレッダーのトラウマ
「原口、この書類をシュレッダーにかけてくれ」
ホクロに言われ、渡されたのは段ボールに一杯の処分書類。それを見て私は胃の中の物がこみ上げる感覚を覚えた。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
「い……いえ、大丈夫です」
理由を話す訳にもいかず私は段ボールを受け取るとシュレッダー室へと移動した。
シュレッダー機を操作しようとパネルを見ると緑のランプが点滅している。
「ゴミがいっぱい……か」
そう、このランプの点滅は裁断済のゴミがトレイにいっぱいになったという合図だ。
私は機械の下部にあるトレイを引き出すとトレイには山盛りの処分ゴミが溢れんばかりに入っていた。
「う……っ」
また吐き気が襲う。
落ち着け……これはうちに捨てられるあれとは全然違う物なんだ……落ち着け。
そう自分に言い聞かせながら次から次へと紙を入れる。
「落ち着け……落ち着け……」
なにかのパンフレットなのか分からないが、黄色と青の明るいカラーで統一された紙を何枚もシュレッダー処理してゆく。
次第に次第がぼやけ、反転し始めてくるのがわかった。
だがそんな異常事態なのに私は吐き気を抑えるのに神経を使い過ぎていて気付かなかった。
そして、シュレッダーにかけた紙の枚数も分からなくなった時、視界が突然暗くなり意識が無くなった。
目が覚めたのは、誰かに肩を揺さぶられた感覚の中でだった。
「……あれ」
「起きたか。分かるか?」
目の前にはホクロがいた。
「きゃっ! な、なんで……!」
「おいおいそんなに驚かないでくれよ。傷つくじゃないか」
困った様子でホクロは笑い、私はここがどこなのかと上半身を起こし周りを見る。
「タ、タクシー……?」
私に見えたのは前に座る白い帽子の運転手と、後部座席の私に向かって助手席越しに振り向くホクロの姿。
「今日お前シュレッダー室で倒れていたんだぞ。……全く、どうしたんだ。疲れているのか」
「え、ええ……あの、すみません」
誤解とはいえホクロには失礼なことを言ってしまった、と反省する私を尻目にホクロは運転手に会計を済ますと「立てるか?」と聞いた。
「あ……はい」
少し頭痛と眩暈がしたが、それ以外はどうやら別段違和感はない。
勝手に開いたドアから出ると、目の前は私の家だった。
「ほら、今日はもう帰れ」
「え、あの……」
「丁度、定期問診で医者が来ていた。発作的なストレスだって言ってたから今日は帰ってもらおうと思ってな」
ホクロはそこまで言うと「じゃあお疲れさん」と別れの言葉を言い、私を帰らそうと手を差し出した。
「すみません……本当、すみませんでした」
申し訳ない気持ちをどう表現したらいいか分からず私は謝ることしかできない。あんなに毎日ホクロを悪く思っていたというのに、私は自分が思って来た言葉全てを無かったことにしたい気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまったのだ。
「今日は金曜日だからなゆっくり休め」
ホクロが私にくれた労いの言葉で今日が金曜日であることを思い出してしまった。
「え、ええ……ありがとうございます」
部屋に帰ると、【あれ】がある……。
■降ってくるゴミ
部屋に帰り暗い部屋の電気を点ける。パチパチと一度点滅してから点いた明かりとベランダにあるであろう【あれ】。
恐る恐るカーテンの隙間から覗いた時、いつもと違うことに気が付いた。
「ゴミが……ない?」
既に毎週《必ず》投げ捨てられていたベランダのゴミ。
それがどういうわけか今日は無かったのである。
「や、やった!」
たった一日、来週からはまた投げ捨てられるかもしれないのに私は妙に嬉しい気分になり飛び上がりたかった。
嬉しくなって勢いよくカーテンを開けたその時。
『どさっ』
「きゃあっ!」
突然ベランダにゴミが投げ込まれた。
「え……」
ゴミが目の前で投げ捨てられたことも衝撃的だったが、それよりも決定的なものを見てしまった。
このゴミは、《上の階から下のベランダに投げ入れられた》のだ。
これまで犯人は別の場所に住む誰かであると思っていた私は、その衝撃的な出来事に凍り付いてしまった。
しかし私には恐ろしさや気味の悪さよりもここまで山積したストレスと怒りが爆発しそうになり、すぐに上の階へと駆け上がった。
■上の住民
ピンポンピンポンピンポン
インターホンを何度も押し、ドンドンドンとドアを叩く。
「すみません! すみません、開けてください!」
声を上げて何度も叫んだ。しかし中の人物は出てくる気配がない。
表札を見ると川崎と書いてあったので私はノックとインターホンを繰り返しながら「川崎さん、出てきてください! ねぇ、ねぇってば!」と叫んだ。
一向に出てくる気配のない住民に対し、私はあることを閃いた。
「あのゴミをここに返してやればいいんだ……」
毎度投げ捨ててきたゴミ。私はさっき捨てられホヤホヤのゴミをこの住民の玄関に置いてやろうと再び自分の部屋に駆け下りた。
「警察だ……警察を呼んでやる! そして管理人さんにも言って絶対追い出してやる……」
怒りと犯人が分かった妙な嬉しさで私は涙があふれ出た。
そして部屋に戻るとベランダのゴミ袋を持ち上げた。
「わっ」
しかしゴミ袋を持ち上げた時に結び目が甘かったようで口が開きベランダ無いに紙のゴミが散乱してしまった。
「ああもう!」
私がいつもよりも甘い結びに思わず腹を立てたその時だった。
『リロリン』
メッセージアプリの通知音が聞こえ、私はスマホを取り出し誰か確認した。
メッセージの主は奈美だった。
《今日急にいなくなっちゃったけど、どうしたの》
そうか、奈美にも心配をかけてしまったのか。
メッセージの返信を打ち込んで送信……
《ごめんね。なんか貧血ぽくて》
返事を返すと散らばったゴミをかき集め、袋に戻したのちに玄関に置いてやろうと細くなった紙を一掴みした私の目に、なにか見覚えのある紙が映った。
黄色と青の明るいツートンカラーの紙。
「……これって」
『リロリン』
《そうなんだ大変だねー。週末はゆっくり直してねー。ほんっと、真里菜がいなくなってから川崎の奴もいなくなったからさー。またセクハラされてんじゃないかって心配したんだよ》
川崎……川崎って?
《川崎って誰だっけ?》
私は奈美に撃ち返すと上からハラハラと落ちてくる紙に気が付き、手すり越しに上の部屋を見上げた。
『リロリン』
「なんだ、彼氏なんていないじゃないか」
《誰ってホクロのことだよ》
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